2012年11月25日日曜日

これまでの自分があって今、思うこと。(加川 泉さん)


みなさんこんにちは。はじめましての方よろしくお願い致します。北見市にある居宅介護支援事業所たおの加川泉です。今年春、社会福祉士会に入会し2度の研修に参加させてもらいましたが、結構な人見知りのため諸先輩方を前にとても緊張しました。仕事として利用者さんのお宅におじゃまする時には大丈夫なのに…不思議です(苦笑)参加する度に症状緩和していきますように。

迂回路を通り社会福祉士へ

 中学からなりたかった看護師。就職し10年が経って、看護行為や業務で毎日が過ぎてしまう現状から、もっと人と向き合える仕事がしたいと思い、ケアマネージャーに方向転換しました。ケアマネは利用者さんやご家族の声と、疾患や生活環境らを照らし合わせ、一緒に課題を解決していくそのケアマネジメント力のみならず、制度的知識、コミュニケーション能力などなど、求められるものは幅広く果てしない職業ですよね。到底、一人であれこれ解決できる訳はなく、沢山の事業所や医療機関のみなさんの専門性に触れ、利用者さんのために最強なチームを結成することも大事な仕事と感じています。

 私がこの仕事を続けていく中で、困難事例に的確なアドバイスをいただいたり、手際よくアセスメントしたり、とにかくこの人ってすごい!と度肝を抜かれた方々の共通職種が「社会福祉士☆」でした。
ケアマネに相談援助は欠かせない→看護学校では詳しい相談援助技術は習っていない→社会福祉士の皆さんの仕事っぷりが素晴らしい→介護保険制度以外の制度がわからない→ならば私も社会福祉士通信教育はじめようじゃないのぉ!!って状況で願書を提出。
 でも19科目を克服し合格することは、想像以上の受難の日々でした。応援してくれた家族や色んなアドバイスをくれた社会福祉士のみなさん、微笑んでくれた神様に感謝しています。

さりげない心遣い

 私は都会の街を歩くのが大好きです。東京まではなかなか行けませんが、まとまった休みがとれたら札幌を歩き、美味しいものを食べたり、買い物を楽しみます。その中で必ず行きたくなる服屋さん「ユナイテッドアローズ」。ここの店員さんの接客サービスが、いつもさりげなく素敵でかっこいいのです…。試着室から出る時に靴を揃えてあるなんてことは皆さんも経験があると思いますが、靴の汚れを拭いていてくれピカピカだったことがあります。

 「お客様の要求を満たすことは、時には面倒くさく、能率が悪く、経費がかかることを肝に銘じ、ただひたすらにお客様にサービスすることがユナイテッドアローズの努めである」

売ることを目標にせず、顧客満足を優先し評価する。その企業での研修制度や取り組みが本となっていて、職種こそ違いますが、私の相談援助の参考書の一冊です。
さりげない心遣いが心に響く瞬間ってありますよね。私もあの時、靴を磨いてくれたきれいな店員さんみたいになりたいなぁ。
おっと、間違えました。相談援助に磨きをかけ、さりげない心遣いができる社会福祉士を目指さなくては。

プロフィール 
2011年社会福祉士会入会 会員番号138046
1993年道立紋別高等看護学院卒業後、札幌・小樽の病院にて、小児ICU病棟、人工透析科に勤務。
2007年より居宅介護支援事業所たおのケアマネージャーに。日々、同事業所の訪問看護師・ヘルパーと共に奮闘中。
座右の銘 「やってやれないことはない。やらずにできるわけがない」(斉藤一人さんの言葉

広域相談サロンくらしネットオホーツクの南川大です


どうも広域相談サロンくらしネットオホーツクの南川大と申します。
みなさんは、これをやられたら笑わずにはいられないことってありますか?どうしても笑ってしまう「笑いのツボ」です。
 ぼくは、タレントのコロッケが野口五郎本人の前でものまねをしているのを観ると爆笑してしまいます。野口五郎が「お前この野郎!」と怒っているにも関わらず、鼻をほじるものまねを続けるコロッケを観ると、おかしくてたまらなくなります。

 ぼくは、幼い頃からものまね番組が好きで、小学生の時から先生のものまねを友達に披露していました。高校生の時は、学校祭で何人かの先生のものまねをステージで発表させていただきました。結構ウケてました。社会人になった今でも、「この人のものまね・・・できるかな」と考えてしまう癖があります。
 先日、職場の歓迎会で「だれか一発芸やれー!」の声に反応し、職場の先輩3人のものまねをしました。宴会場は大爆笑に包まれましたが、「しまった!」生まれ持ってのドジなため、事前に先輩方にものまねのお断りをすることを忘れていました。「お前この野郎!」怒りで顔が引きつった野口五郎がコロッケに掴みかかろうとする昔観た映像が思い浮かびます。

 ところが「ちょっと大ちゃん、びっくりしたよ~(笑)どうもね。」ものまねさせてもらったある職員の方にそう言われました。優しい先輩方で良かった。いつもありがとうございます!と思いました。そして、「ちょっと大ちゃん、びっくりしたよ~(笑)どうもね。」このフレーズ・・・ものまねできるかな?とまた考えてしまいました。「お前この野郎!」と一回怒られないと懲りないなと、わたくし事ながら思った今日この頃です。
南川 大(みなみかわ だい)さん
1982年 虻田郡京極町生まれ
2010年社会福祉士会入会。社会福祉士会36630号   
精神保健福祉士

2005年 道都大学社会福祉学部社会福祉学科卒業
卒業後、2005年に岩見沢市にある介護老人保健施設にて生活相談員として勤務。
2006年~2009年、遠軽町にある精神障がい者地域生活支援センターに勤務し、精神障がい者の地域生活支援、退院促進支援に携わる。2009年より、社会福祉法人北光福祉会に就職。現在、相談支援室ま~ぶる相談支援専門員、広域相談サロンくらしネットオホーツク地域づくりコーディネーターとして勤務。
《本人より》年齢や障がいに関係なく、生活の中で何らかの困り感を抱えている人々が、地域で必要な支援を受けながら、その人らしく暮らせることを願い、仕事をさせていただいてます。今後も分野に関わらず、地域の関係機関の方々と手を取り合っていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。

新人の濱名三三子です


以前より清里の三浦さんから次のエッセイをと言われていましたが、なかなか恥ずかしくて書く事が出来ず躊躇していました。が、2010年も終わりに近づき年女の記念に(年がバレテしまいました)思いきって投稿します。

 私は何とか、まぐれか努力(?)の甲斐あってか2010年3月に社会福祉士に合格したので、オホーツク支部に入会する事で学習会や研修会、施設見学等でもっと生の地域や現場についても学び、知識を深めていきたいと思い入会させて頂きました。(飲み会員でも良いと聞き安心して入りました)


入会して感じること


 さっそく入会し、基礎研修をまず初めに受け、社会福祉士の倫理綱領やソーシャルワークの倫理を学びました。立派な本も謹呈され、仕事でへこむ時や落ち込んだ時は、この倫理綱領を読み返す事が大切だと教えられました。お盆過ぎの8月には、泊りがけで(今年は当番地にあたり、場所は津別のでてこいランドでした)、帯広、釧路、オホーツク地区で毎年持ち回りで行っているという研修会・交流会にも参加させて頂きました。また、成年後見人の死後の処理というテーマの研修会にも参加させて頂き、今年の流行語に選ばれた「無縁社会」について考えさせられました。秋には2回も施設見学会があり、相乗りさせて頂けたので安心して行けたのですが、今年は網走と紋別への施設見学会でした。なかなか他施設へ行く機会もない為、いろんな場所を訪れる事で視野が広がりました。医師や弁護士は医師会や弁護士会に入らないで活動は出来ないといいますが、社会福祉士会は自由参加で25%しか入会していないとの事ですが、大変実のある活動を事務局等の御尽力でされていると思いますので、今後も楽しく参加させて頂きたいと思っています。これからも宜しく御願い致します。

社会福祉士としてのこれから

 私と福祉の関わりは、高校生の頃に遡ります。今でもあるとは思うのですが高校生ボランテアサークル「ホーチブ会」に入っていて、30年前にもなるのですが、特別養護老人ホーム光の苑や、川東学園等へ毎月、慰問の活動や廃品回収をしたりしていました。札幌の短大でも「あしのうら」というボランテアサークルに友達がいたので勧められ入会し、今では有名になった小山内美智子さんの家に行ったり、いちご会が始まったばかりでしたが活動していました。


 札幌は今は、福祉や障害者に心強い町ですが、その頃から小山内さんらのいちご会の仲間が障害があってもドンドン一人で外に出たり、趣味のために出かけたり、働いたりされていました。今でこそノーマライゼーションやユニバーサルは当たり前の事となっていますが、こうした札幌の障害の方達が健常者と同じように誇りをもって、恥ずかしがらずに外へ出て活動していった事が今に繋がっており、良かったと思います。ちなみに私の友達も車椅子バスケットをしていた車椅子の方と結婚しましたが、今では車椅子バスケットの指導者に夫婦でなって全世界へ出かけ活躍しています。
 北見に就職し会社員で4年程働いた後、専業主婦10年後に訪問介護員となり介護福祉士と介護支援専門員も取れたので、短期入所の相談員も2年ほど経験。その後、居宅のケアマネや通所介護の仕事も経験させて貰いましたので、在宅3本柱の中身は少し理解する事が出来ました。何でも身を置いて経験してみないと見えない事はあるものだと感じています。
 現在は居宅介護支援事業所に勤務していますが、社会福祉士の勉強をして良かった事があります。勉強した社会保障・障害者福祉や低所得者に関わる項目が利用者さんに情報提供する事が出来て、感謝された事があったのです。行政へは申請主義という流れがあり、知識が無ければ損をしたり不幸になったりという場合もあります。これからも、社会福祉士会の一員として制度も変化していく為、勉強を続けていく必要がありますので、新しい制度や知識も深め学んでいかなければと思っています。

趣味の力


 昔から読書好きの文学少女(?)でした。今でも直木賞や芥川賞作品やベストセラーは欠かさず読みます。最近では村上春樹のIQ84の3や悪人は購入して読みました。レデースデーの日に映画を見に行ったりもします。社交ダンスは5年ほどやっていましたが、現在夢中なのは登山で、夏山時期は毎週何処かへ出かけ徘徊(?)しています。写真は海別山に登った時ので後ろに有るのが雪を被った斜里岳です。白い花はアポイに登った時に可愛かったので写した写真です。これからも仕事の力のもとになるように趣味を続けていきたいと思っています。
濱名 三三子(はまなみさこ)さん
社会福祉士会36269号
社会福祉法人北見有愛会 寿・美よし地区居宅介護支援事業所に勤務。
子どもは23歳(男)、21歳(女)、19歳(女)。 モットーは「我以外皆我が師なり」「動かなければ出会えない」

社会福祉士会、立蔵昭彦です


まずはご挨拶から


 まだお会いしていない方の方が多いと思いますのでまずはご挨拶から。
 紋別市地域包括支援支援センターの立蔵といいます。よろしくお願いします。今年の6月に社会福祉士会に入会しました。
 入会に至った経緯ですが、地域包括支援センターの仕事で「権利擁護」なるものがあります。高齢者の権利を擁護するために、高齢者やその家族に対して相談に応じ、消費者被害を防止したり成年後見制度を紹介したりとマニュアルには素晴らしいことが書かれていました。
 そうかそうかと頭の片隅に常に入れておいて相談仕事にあたっていたわけですが・・・。消費者被害についての相談は一向にない。ちょっとあったりして消費者センターの相談員とも、ことにあたったことは
あったのですがその相談員の方がまた強力。その手の相談はつなぎ役に徹することと心に誓ったのでした。
 さて成年後見制度はどうかと言いますと相談はある。あると言ってもイメージしてたのは何回か研修に行って覚えた上っ面のこと。




事例を通して実情をご紹介します


ケース1・同居家族のいる高齢者
Aさん「うちの母が一緒に住んでいるのですが、押し売りに来た人を断ることできず、必要もないのに布団やらメガネを買ってしまったようで。。。やめさせたいんですが、なにせ私は日中仕事でいないもんですから。どうしたら良いでしょうか?」

私「そうですか。それならいい方法があります。成年後見制度というものです。あなたが成年後見人になれば被害をふせぐことができます。家庭裁判所に行けば利用までの流れをビデオで見れますよ。行ってみてください。」

Aさん「ありがとうございます。そんな制度があるの知らなかった。これで安心です。」

行ってきた家族にどうなったか聞いてみると

Aさん「無理です。あんなこと私にはできません。」

私「えーっ???」

ケース2・一人暮らし高齢者
Bさん「紋別の叔母ですが叔父も亡くなり一人暮らし。子供はいません。一番親しい身内は道内の私だけ。お金が勘定できなくなったようで有り金全部持って店に行ってること店員さんに聞きました。盗まれても困るし壊れたストーブも業者にお願いすることができません。冬を前に心配です。ご飯は作ってる食べることできます。施設の話してもその気はありません。」

私「それならいい方法があります。成年後見制度というものです。あなたが成年後見人になればそのような問題も解決できるでしょう。家庭裁判所に行けば利用までの流れをビデオで見れますよ。一緒に行ってみましょう。」

裁判所から戻って

Bさん「遠くにいる私にはこんなこと無理。誰かやってくれる人いませんか?報酬は払えると思います。」
私「それではなってくれる人を捜してみましょう。」と心当たりに電話。
C~書士「結構大変だときいてるからちょっとね。」
D~書士「お客様の都合により現在この電話は使用できません。」


 簡単に考えていました。成年後見制度のこと。
 都会では介護職員の成り手がない。この地区では成年後見人の担い手がない。そんな中、北海道社会福祉士会が成年後見人養成研修を開いたり随分力を入れてことを耳にしました。
これは乗らない手はない!
というわけでようやく入会にいたったわけです。
 会員のエッセイを閲覧すると皆さんソーシャルワークやご自身の仕事のこと真剣に考えていらっしゃるのになんて不純な動機でしょうか。お許しください。

入会して感じること


 今年10月、オホーツク地区支部主催の「成年後見制度学習会」に出席させていただきましたが、愕然としました。
 北見、網走の社会福祉士会会員の方々とのレベルの差があまりにも開きすぎていて質問もできない、聞いていてわからない。。(汗)
裁判所の調査員が気軽に説明に来てくれている!(驚)
思ってもみなかった光景でした。。。
すでに成年後見人の仕事をされている方のなんと詳しいこと。何とか追随してゆかねば。

 オホーツク地区支部の会員学習会など研修体系はすごく充実していますね。札幌の勉強会もいいのですが規模が大きすぎて知りたいことが聞けなかったり大きな話が多い。実用的な勉強会を開いているので成年後見に限らず勉強になります。
「入会して良かったなあ」というのが率直な感想です。

立蔵昭彦(たてくらあきひこ)さん 
社会福祉士会38230号
1986年北星学園大学経済学部卒業
社団法人北海道総合在宅ケア事業団、在宅介護支援センターでの勤務を経て、平成19年より紋別市地域包括支援センターに社会福祉士として配属。

~ つれづれなるままに ~ 三浦 綾美さん


清里町役場に勤務しております三浦綾美と申します。現在育児休業をいただいており、日々現場でご活躍されている皆様に混じって、このような場に登場するのはとても心苦しいのですが、こんな人も社会福祉士会にいるんだなぁって思っていただければうれしいです。

毎日のこと

 8(男)、4(女)、2(男)歳の子供を相手に、今の私の日常は家事育児中心です。当たり前ですが、子供たち、こちらの都合なんて関係なく三者三様の要求があり、これは精神修行か?!(キレないで一日過ごすのが目標です)と思うような出来事の連続です。音声多重放送のような毎日で、小さな幸せが沢山転がっているのをついつい見過ごしがちです。

最近心掛けていること

 特に小児科を受診する機会が多いのですが、診てもらった後
『ありがとうございました』にプラスαの言葉(印象が良かったところ)を添えています。例えば『分かりやすい説明ありがとうございます』等。 地方の医師不足が問題になっていますが、過酷な勤務の中で頑張っているお医者さんに一瞬でも心に入る感謝の言葉を伝えたい・・と。これは受診以外でも、いろいろな場面で実践中です!


趣味の力


華道を細々と習っています。『何もする気が起らない』と意欲が低下されていた利用者さんと、華道という共通の話題から突破口?が開け、私が訪問する予定の時は、小さなお華を生けて待っていてくれるようになった事があります。あの時は本当にうれしかったな!!きちんと身につけて、人の心を癒せる様な活動が出来ればいいなあと思っています。ささやかな夢ですが・・・!!



チャレンジ

 介護技術を少しでも身につけたくて、現在2級ヘルパーの資格にチャレンジ中です。年齢・動機が様々な方たちとの学習に刺激を受けています。
三浦 綾美(みうら あやみ)さん 

社会福祉士会6782号  介護支援専門員
北見市出身。東北福祉大学社会福祉学部社会福祉学科を卒業後、平成8年、清里町役場に就職。高齢者福祉係、地域包括支援センター等で様々な生活問題解決に向け、行政と福祉の視点から活躍されています。
座右の銘『成せば成る』
短所:そそっかしく、笑えない失敗数知れず
長所:有言実行

TURNING QUESTION(田村幸一郎さん)


 ある日、ご両親のことで、息子さんが相談にやってきました。

経過 

 息子さんの父親は、いつものように、散歩がてらタバコを買いに家を出たものの、なかなか帰って来ませんでした。心配して外を見に行った母親が目にしたのは、滑って頭を打ったらしく、意識をなくした父親の姿でした。
 すぐに救急車で病院へ運び、意識が戻った時には、誰か?どこか?がわからない「認知症になっていた父がいた」そうです。
 心の整理もつかないまま、息子さんは、医者から「今後のことを相談するように」と、来所され、相談援助が始まりました。

質問

「悪い夢でも見ているようだ」と大きくひとつ息を吐いた後に、息子さんは(ずっと、誰かに、訊いてみたかったけど、訊けなかったのだけど)

「ねえ、田村さん、親父はなんで認知症になったのだろう?」

と、尋ねてきました。
 この時、正直、私に答えは持ち合わせていませんでした。

 ただし、この質問は「息子さんの今後の介護生活にとって重要なこと」であることは、感じました。

 そこで「1日そのことについて考えさせて欲しい」とお願いをして、その日は、そのことに、思いをめぐらせていました。

考察 

 息子さんが「なぜ親父は認知症になったのか?」と、その理由にこだわったのには、たぶん、そこに意味を見出さないと、やりきれない思いだったのだと、察しました。
 例えば、息子さんの質問に、医者ならば、「それは脳にダメージを受けて・・・」と原因についてエビデンスを答えたかもしれないし、看護師やセラピストならば、「現在の状態は・・・」と機能についてのアウトカムを答えたかもしれません。でも、それらは「今後介護の支援を必要とする息子さんのやりきれない思い」までは解決できなかったに違いありません。
 ソーシャルワーカーの私の役割は、介護者である息子さんと介護される父親の両方のストーリーをつなげるところからはじめることだと思いました。

事例 

 翌日、私は息子さんに「たぶん、親父さんはみなさんとゆっくりお別れをしたかったのではないでしょうか?」とお伝えました。
 突然、家族とお別れするにはあまりに惜しい、何か家族のヒストリーがあるのではないか?
 これから介護を通じて起きるケミストリーがきっと「ゆっくりお別れしたい」という親父さんの意思・選択の意味を教えてくれるに違いないと思ったからでした。
 欠けがない、でもやわらかいゆえに、蓋をして触れないようにして、心の奥深くにしまって置いたら、いつしか忘れかけていたものが、認知症になったことで、表に出てくる「奇跡」が、稀に、あります。ある日突然、認知症になってしまった親父さんとその息子さんが、そうでした。
 公務員だった親父さんは、実に教育熱心でした。その期待に応えて、息子さんは某有名・難関国立大学に入学しました。親父さんにとってそれは何よりも自慢でした。しかし、息子さんは、大学を中退し、料理職人として飲食業を営む道を選びました。親父さんは、そのことを「水商売」と一蹴して、認めることは、決して、ありませんでした。そんな頑固な親父さんと息子さんとは、当然、素直になれない間柄でした。
 認知症になってから、ある日突然、認知症になった親父さんを目の当たりにして、商売の事情から、息子さんはグループホームへ入所させることにしました。
 入所させてからも、息子さんは夕食時の仕込みが忙しくなる時間の前に、休憩時間を割いて、毎日のように、顔を見に来ていました。一方、親父さんは、もともと口数が少ないほうで、息子のことをわかっているのかわからないようでした。
 グループホームでは、まちのお祭りに合わせて、家族を招いて食事会を考えていました。その話をたまたま小耳に挟んだ息子さんは、「いつも親父がお世話になっているので、外出することもままならない入所者さんのために、店の職人を連れ来てお寿司を握りましょう」と申し出てくれました。

奇跡 

 お祭りの日。グループホームでは息子さんが入所者さんの目の前で寿司を握り、店と同じように振るまい、大いに喜ばれました。普段、食欲のない入所者さんも、両手で口に寿司を運んで、「昔、こうして食べに出掛けたもんだ」と、見たことのない満面な笑顔で、家族との会話が弾んで、和やかな雰囲気になりました。その時でした。親父さんがすくっと立ち上がり、姿勢を正し、誇らしげに言いました。

「あそこで、寿司を握っているのは、わしの息子なんだ」

 一瞬、緊張が走ったものの、すぐに大きな拍手に変わり、親父さんは照れて、仁王立ちのまま固まってしまいました。その瞬間、私には父親と息子のわだかまりが解ける音が、確かに、聞こえました。
 親父さんは、職人になった息子のことを、実は許しているし、誇りにさえ思っていることを伝えるために、認知症の力を借りたのだと思いました。しばらくして、息子さんが私に歩み寄ってきて、「『ゆっくりお別れするために認知症になったのでは?』と言った、田村さんのことばの意味が、今、わかった」と、目に涙を浮かべて、静かに握手を求めてくれました。

最期 

 数ヵ月後、胆嚢がんがわかった親父さんは、家族に看取られて亡くなりました。息子さんは医者から「本来、これだけ進行し、しかもこの場所にがんができていると、相当苦しくて痛いはずなのに・・・認知症のおかげで感じないのかな?」と不思議がられたそうです。「結局さ、認知症では死ななかったな」と、満足した笑顔で、息子さんは私に語ってくれました。

あとがき 

 相談をしてくれた人に、手を合わせたくなる、感謝したい瞬間ってありませんか?そんな時、ソーシャルワーカーの醍醐味を感じます(福祉の仕事20年目なのに、いまだに、青二才?)
田村幸一郎(たむらこういちろう)さん。
97年入会。 会員番号7252
1970年、美幌町生まれ。介護福祉士、主任介護支援専門員
職場は変わっても、福祉の仕事は続ける自称「ふくしバカ」。
特技は、珈琲抽出。いつかソウルミュージックと古書が売りの『カフェ』をやりたいと野心を抱いている。

「福祉のおしごと3年目」(佐藤 有紗さん)


こんにちは☆

 前回のエッセイを担当された林さんと同じく大空町女満別で働いている佐藤有紗という者です。
介護老人福祉施設で2年間介護員でしたが、今年度より相談員となりました。毎日毎日あっちでパタパタこっちでパタパタと走り回っています。意外と体育会系のおしごとなんですね。

 さてはて、福祉のおしごとに就いて3年目になる私ですが、年々課題は増えるばかりで困っています。「もっとこうできたら」
「こうしてあげたいのに」
そんな思いを感じながら、自分の未熟さを痛感します。
もっともっと経験したり、勉強したりして今よりもさくっと解決できるようになりたいものです。

んー、福祉ってなんなんでしょうね??

世の中には、心のやさしい人が障害を抱えた方や高齢者と共に生活する「福祉」っていう特別な世界がある、くらいに思っている人が多いのではないかと思います。福祉=介護と思っている人もいると思います。高校生までの私がそうであったように。

私が専門学生時代に達した答えは、「人が人の幸せを思うことが福祉」でした。

なので、福祉っていうのはいろんなところにたくさんあるもので、決して特別ななにかではないんだろうなと思っています。

日々暮らしていて、なにかを出来ない人がいれば出来る人が変わりにやるのは当たり前のことです。それができないからこそ福祉の仕事というものがあると思うと悲しくなってしまいますね。

佐藤さんが勤める街の名所 「メルヘンの丘」でも、人の幸せを思ってすることがお金になるなんて、そんな当たり前のことでお金がもらえるなんて、めっちゃ良い仕事じゃん♪って私は思っています。

ついでにいろんな方々の人生に触れたり、いろんな形の優しさに気づいたり、人としての成長速度が2割増しくらいになった気がしてお得です。

楽なお仕事とは思わないけど、この先もずっっっと福祉のおしごとをしていたいなって思います。


でも、いつかは福祉のおしごとがなくてもいい世の中になればなぁと思う今日この頃です。


佐藤 有紗さん
09年社会福祉士会入会 会員番号35013
1986年、美幌町生まれ。
2008年専門学校日本福祉学院福祉総合科卒業後、
老人福祉施設女満別ドリーム苑にて介護員として勤務。
2010年より同施設にて生活相談員として勤務中。